再構成
shiorai
白情記
生きているということは結局のところ、繰り返すことなのだと思います。
生きている限り、延々と、雪が降り、桜が咲き、蝉が鳴き、月が昇り……おはようとおやすみを繰り返して、それがわたしたちのすべてなのだと。
生命にとって、もし存在の目的というものをひとつ定義するならば、その繰り返しこそがそうだとさえ思います。
わたしが繰り返してきたことの最たるもの、それは「言葉にする」ということでした。
誰も聞かない、誰も読まない、そんな言葉を生きている限り延々と、連ねてきた24年間でした。
誰かに、どこかに届くことを望んでいたこともあります。今も心のどこかではそうなのかもしれません。こうしてインターネットで文章を書いているのだから。人は多分どこまでいっても一人では生きてはいけなくて、一人で生きるためですら誰かの存在に寄りかからざるを得ない。
ただ言葉にし続けることが人生なら、それはやはり誰も読むことのないノートに書き記し続けるだけでも良かったはずなのですから。
遺すことについて。
誰かのことを思う、ということがほんとうの意味でできたことはないと思っています。わたしはいつも自分のために生きてきた。それ以外のことはできなかった。多くのことをないがしろにしてきました。そしてこれからもそうしていくのでしょう。
でも人はきっと、自分のためだけに生きてはいけなくて、自分のために生きるためですら誰かの存在に縋らざるをえない。
誰かのことを思う、というのは、どのようにすればいいのでしょうか。
それがわからない。
だから、遺すことについて今日も、考えています。