続けることも悪くはないことは分かっているけれど、いつかはすべてが終わると知っていて何かを続けていくのはなんだかとても不格好な心地がする。
作ることを止めたい、というのは結局、生きることをやめたい、というのと同程度の意味しか持たない。
それが、永劫許される行いではないと本当に『分かって』いるのか?
――どうだろう。
最近、音楽を始めた。
音楽を始める、なんて言い回しも妙だ。でもあえてそう言いたい。
むかし、ピアノを習っていた。それは続けられなかった。やめてしまった。
人生を振り返って、続けてきた何かというのはその大半が惰性だ。それでも作ることにだけは、惨めに縋りついてきた、と……そう思いたいだけかもしれない。
このブログのことはしばらく忘れていた。
五番線のホームに降り立って、秋の夜のつめたさに触れる。
お忘れ物にはお気をつけて……
もう忘れてしまったことを書き残して、言葉にして積み重ねて、たまに読み返すと、少しは悪くない言葉にまた出会える。
ぼくはこの街が好きだった。
ふとエスカレーターを下りながら、愛しさと言ってもいい切なさが胸に満ちるのに気づく。
なぜぼくは今、こんなにも幸福なのだろう?
少しだけ泣きそうになる。
なぜこんなにも、人を傷つけて、見捨てて、自分だけが一人で、こんなに幸福でいられるのだろう?
「そう願ったからだよ」
きっとどこかから声が聞こえる。
「わたし」はそれを恨むだろうか? 憎むだろうか、咎めるのだろうか?
最終電車の静かなざわめきと、気だるさと、足元の冷たさが、ぼくたちに優しい冬を運んでくる。
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