2024年4月5日

 何もかも言葉にする必要はないのだ、と思う。生きることそれ自体を私は、この肉体の中で大事に思うことができる。

 脈打つ拍動、身体の温度が、不意に感じられる。

 遥か遠く、夜景の輝きを眺める時、その一つ一つの光を愛しく思うと同時に、そのどれもが自分のものではないことを知った。この世界は私のものにはならない。何ひとつ私の手の中にない。

 その寂しさが、星星の煌めきを一層尊いものとするのだろう。 闇が好きなのは、光が見えるから。深い闇のなかでこそ、光は眩しく、私は手を伸ばす。

 生まれてきてよかった、と私は人生で初めて思いつつある。

 この温度を愛せたからだ。すべて過ぎ去って、私は生きる限り、この鼓動とともにある。

 私は、親を克服しなければならない。これまでの人生ずっと、親が「正解」だった。それは私が臆病だったせいだ。自分の意見を述べる勇気がなかった。自分の責任で何かを壊す勇気や覚悟がなかった。

 答え合わせは、親の機嫌をうかがう。

 子供の頃、馬鹿な私はうまくやれず、親の機嫌を何度も損ねては反省した。

 そして大人になれば、自分の感情はかなりコントロールできるようになった。我慢や忍耐力、辛抱強さを手にし、以前よりずっとうまくやれるようになった。親の機嫌を損ねる事も、ほとんどなくなった。良い関係を築けていた。

 それで、成長した気になっていた。正解している気になっていた。

 だがそれらの成長とともに、親は、正解ではなかったことに気づく。ただ、一個人の人間であった。私なりに、それは間違っていると思うこともあった。だから私は、それを乗り越えなければならない。

 これまでの二十年間ほど……自分にとって「正解」であった、あの人達を本当の意味で乗り越えなければならない。

 だが……親に理解されなくとも、親を殺すことになろうとも、乗り越えなければならないのか、もうそろそろ、私は答えを出さなければならない。

 ……解らない。まだ、立ち向かえない自分がいるのは、確かだ。それでもやはり親の不機嫌が恐ろしい。冷たい声や、大きな物音や、暗い顔、爆発する感情、私は何も言えなくなる。臆病を克服できない。どうすれば強くなって、乗り越えるということができる?

 どうすれば、ちゃんと、話せるようになれる?

 誠実でいたいのだ。でもそれは、すべてを壊すことになるかもしれない。

 私には……。

 ……。

読んでいる本

〈精神病〉の発明 クレペリンの光と闇 (渡辺哲夫、講談社選書メチエ、2023)

 エミール・クレペリンという、19世紀ドイツの精神科医についての本。クレペリンは現在の精神病理理解へつながる根本的な研究を行った人物であるとして、人物像や来歴、論文や研究成果、周囲の人々との関係などが仔細に記されている。伝記的な一冊である。

 精神病は発見されたのではなく発明された、という記述が印象的であった。

 人格から症状を切り離し、記述し、分類する行為が、ひとりひとりの人間を癒やすためにどれだけの意味をもつのか。

 クレペリンによる、ある種人工的な精神病理の記述が、現在の精神医療の根源にあることの意味は大きいように感じられる。

 私もカウンセリングを受けたことはあるが、やはり、人間としてというより、症例として目を向けられるような瞬間には、断絶を感じるものだ。

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