貝殻と塩[#240324]

日記

2024年3月24日

 海辺を歩く。
 帰りの電車に乗り、西日差すまどろみの中で水平線1を眺める。

 記事を書こうとキーボードを打つ手が冷たい。自分のアパートに戻ってきた。暖房をつけるかどうか、ためらったまま、指先が冷えていく。

 この先のことについて考える。正確には、考えようとしてやめる。このアパートの一室に、二週間ぶりに帰ってきた時、ほっとした。なんだかこの部屋のことを、ずいぶん忘れていた気がした。私には帰る場所があったのか、と思った。匂いが好きだった。この街の匂いが。だけど、もうここにいられるのもあと一年だけだ。そしてそのあとはどうなる? 分からない。なにも決まらない。決めていない。

 貝殻の軽やかさ、海の静けさ、太陽の眩しさ、柔らかさ、激しさ。そういうものだけただひたすら見つめていられたら良いのにと思ったりもするが、それはそれで、すぐに飽きてしまうものだろうか。

 この街が好きだ。この街を好きになれたことが、良かったと思う。私にとって、ここは孤独の街になった。どこへ行くにも大抵が一人だった。長い内省の中にいた。それもいつまでも続けられることではないということが、だんだん解ってきた。

 全てが確かに有限であり、人間にとって意味のあるものの中で、無限であるものはなにひとつとしてない。子どものころ、というか、つい最近まで、私はそれを理解していなかった。全ては永遠に続くような感覚に苦しめられていた。だから、死ぬしかないと思い詰めていたのかもしれないと思う。なにもかもすべて、ほんの一瞬に過ぎないのだということが解った今は、そのような感覚の空虚さに苦笑が漏れる。

 大学の授業に、ほとんど出られなかった。それとも出なかったのか。自分にもわからない。多くのことから、逃げて生きてきた。そのくせハッピーでもなんでもなかった。なにに対してあんなにも苦しんでいたのか、なにに囚われていたのか、分からない。なんの努力もできなかった。しなかった。誰のことも、自分のことも幸せにすら出来ず、なにもせずただ時間が過ぎた。そして、それがすべて有限であったことを知った。

 私はもうこれ以上、なにも望んでいなかった。自分についても、他者についても。すべてはこのまま失われていくだろう、それでよかった。後悔や恥も、もう以前のように恐ろしくはなかった。それでもなお、生きなければならないのだろうか? なにかを決めて歩いていかなければならないのだろうか? どうやったら大人になれるのだろうか? またなにかを、これ以上手にするのだろうか? もう十分だというのに、それでも、まだ。

 塩に触れる。白く輝く。月が夜空に高く、煌々と照らしている。

 

  1. JR東日本信越本線、日本海を臨む。 ↩︎

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