2024年4月6日

 こんなふうに感じることは、今までにあまりなかったのかもしれない。
 部屋の、静けさである。
 買い物、食事と、皿洗いを終えて、台所を満たす静けさ。頭上の電灯が、ジィ……と音を立てているのに耳を傾ける。


 静けさを感じる、余裕すら、これまでの自分にはなかったのだ。ごく普通の、日常的な動と静のリズムが、うまく刻めなかった。
 皿を洗う間は、水の流れる音、食器同士のぶつかる音と、騒々しい。
 全ての泡を流しきり、蛇口を止め、そこで初めて、静寂が訪れる。
 皿洗いもろくにしなかった頃には、まず感じることのできなかった静寂である。

 これまでは、静寂を愛おしむような余裕はなかった。頭の中は、ほとんどつねに、痛々しい不安でいっぱいだったからである。
 唯、そこから逃げるために、精一杯であった。

 なにが変わったのだろう。
 季節が変わった。
 ばらばらに拡散しつつあった自己をたぐり寄せていく。
 未来というものは、人間の理解を越えた、幻想である。

 隣の部屋に、誰か引っ越してきた。
 きっと新しい、一年生だろう。

読んだ本

〈精神病〉の発明 クレペリンの光と闇 (渡辺哲夫、講談社選書メチエ、2023)

 昨日に引き続き……二日かかってしまったが、読み終えた。
 ぼくは、精神医学、精神病理学の専門的な教育を受けたことがあるわけではない。ただ個人的な事情から、精神病について、ある程度の理解を試みる必要があり、「精神病」とついた書名には関心を惹かれる。
 そうして手に取った本書であったが、浅学のぼくはクレペリンという名を聞いたこともなければ、どのような業績を残した人であるかも、知らなかった。
 筆者の指摘する通り、クレペリンは現代の精神医療において殆ど忘れ去られているのだろう。だが、DSMやICDといった診断マニュアルはクレペリンに依拠しているのだ、という本書の指摘に、まず、「ぼくはDSMがどこからきたものなのか知らない」、ということに気付かされた。
 精神疾患について調べると、「DSMでは……」と、そういった診断マニュアルが疾患の根拠かのように、説明に用いられる場面がある。だが、その診断マニュアルはどこからきたのか。その分類と診断基準にどれほどの正確性があり、どういった立場や「理念」を念頭において、作成されたものなのか。ぼくはまったくしらなかったのである。
 そしてこの本では、その源泉にはクレペリンの精神医学体系があるとし、いま忘れ去られたクレペリンという人物に、あらためて光をあてようとするのが主な内容となっている。
 
 ぼくは医学を専門的に学ぶ医学徒ではなく、本書で紹介されている様々な学説を批評できるほどの知識は持ち合わせていないのだが、現代の精神医療を根本からふりかえるために、参考になる一冊であった。

迷妄から覚めたと喜んだ瞬間が、新たな迷妄に突入してしまう瞬間だということが余りにも多い。

「〈精神病〉の発明 クレペリンの光と闇」

 この言葉が印象に残った。

 また、ヤスパースのクレペリン観は特に興味深いものであった。

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