自分に何が残せるだろう? ということを、時々考える。

「生きる限り、こうせねばならない」ということはない。生きて、なにも残らなかったとしても、それは別に恥ずべきことでもないし、不幸でもない。そもそも、死人に恥もなにもない。ただ、多くの生物は本質的には、一人で生きていくことができない。

 死を理解できる存在にしてみれば、己の死後のことを考えずには居られないというのも、定めだろうとは思う。それでもやはり、死後のことは、当の存在にとっては無関係な事柄である。

 生きた証を残したい、というのも、死が定められた現存在が抱かずにはいられないことかもしれないが。

 もっと楽しい話がいい? そうだね。

 ぼくは要するに迷っているんだ。みんなと仲良く幸せに過ごすか、意固地になって孤独を貫いて、なにかを残すことに躍起になるか、さ。

 みんなで、仲良くできたら良かったんだけどね。どうしてもそれが上手くいかない。だとすれば、本質的にはどちらもいっしょじゃないかな? できもしない、価値があるかもわからないものに必死になって、苦しむんだ。結局、一人で遊んでいたほうが、よっぽど良いのかもしれない。

 ところでぼくは最近、手紙を書こうかと思っている。この前、ある有名な書簡体小説を読んだんだ。というか、ぼくは実際に読むまでそれが書簡体小説って知らなかったんだけどね。まあ、とにかく読んだんだよ、で、これは面白いぞと思ってね、自分でもやってみたくなったってわけ。手紙の形式でもこんなおもしろい文学になるなら、何か試してみたくなったんだ。

 ごく一般的な形式の物語を書いていると、よくどうやって完成させたら良いのかわからなくなるんだ。何が正解かなんて、そんな答えはどこにもない。自分でゼロから決めていくしかないんだ。でも、臆病がすぎると進めなくなる。全部くだらなく見えてきて、間違ってるように見えてきて、書く意味もわからなくなる! けどさ、手紙だったら、相手に出して、読んでもらうことが目的なわけだろう、だから、とにかくそのために書き終わらなきゃいけない。

 創作という行為も、完全に孤独だとやり遂げられないってことにぼくも薄々気づき始めているんでね。

 まあ、とにかくそういうわけで、ちょっと考えてみるよ。

関連post

+ There are no comments

Add yours