意見が言いたかった

 理解ったような気になるべきではないと思う。野次馬は冒涜的な行為だと思う。

 それは、誠実ではない。母のやり方を見て私は思う。私は、それは誠実ではないと思う。別に、責めてるわけじゃないんだ、私はただ、普通に会話がしたいだけなんだ。意見を交わし、話を聞いて、私が間違っていれば、新しく納得していきたいだけなんだ。

 私の臆病がそれを許さない。でも、どうやったら、「文句」や「否定」ではなく「意見」を言えるのか、どんな言い方をすればいいのか、考えが及ばない。

文句

 文句を言っても良いことはない。というか、文句と受け取られれば、もうそれは意見としては通らなくなる。だから私は結局、何も言えず、ただ笑って相槌を打つだけ。こういうコミュニケーションは不誠実だと理解っている、でも、いつもそうなってしまう。

 母さんは近頃、自身の発言に対しても「文句」という言葉を使うようになった。文句ばっかり言っていい? 文句ばっかりになっちゃうけど、と前置き。母は昔に比べ、不満や愚痴ばかり言うようになった。

 別にそれはそれで良いと思う。文句とは否定的な意見の一種かもしれないが、言ってはいけないものではない。

 私はその「文句」という言葉を聞いていて、ふと思った。おそらく母もまた、母親から、「文句を言うな」と言われ続けてきたのだろう、と。「意見」が認められなかったのだろう。何かいえばすべて文句とされる。だから何も言えなくなる……。

 母の話を色々と聞いていれば、それもあながち、単なる推測ではない。

幼少期からの疑問

 私は昔から不思議だった。納得がいかなかった。母に文句を言うな、文句ばっかり、と言われる時、「私は意見を言っているのであって、文句を言っているわけじゃない」と主張したことが何度かあった。

 しかしその主張が、全く通らない。屁理屈だ、と片付けられてしまう。なぜ、何でもかんでも、文句ということになるのか。なぜ、意見ということがありえないのか。

 たとえば食事をしたとき、「甘い」「辛い」等というと、「甘すぎる」「辛すぎる」という文句として受け止められて、機嫌を損ねてしまう。せめて「甘くて美味しい」「辛くて美味しい」と言わなければ。

 要は、「おいしい」以外の事をあまり言うべきではないのだ。迂闊な反応をすると、文句言うなら自分で作れば、という話になる。

 そういうわけで、私がご飯を食べるときに第一に考えるのは、どのように当たり障りなく「おいしい」という感想を表現するかということになっていった。

 実際の味は問題ではなかった。母の作る料理は抜群においしかったから、嘘をついたことはないが、薄いとか濃いとか、些細な感想を抱いても、それは胸にしまっておかなければならない。

 とにかく自分がすべきことは、おいしいと伝えることだけだ。誤解されないように。

 しかしそれは簡単ではなかった。難しいのは、嘘を吐くことではなく、素直な感情表現だった。

 私は、感情表現が得意ではないから、おいしいと思っても、基本的には無表情・無反応なものである。だから難しかった。嘘をつくことよりも、素直な表現のほうが難しいのだ。

 私もそういう性格だったから、母には私が理解できず、不安になることが多かったのではないかと思う。

不自然の理由

 母の中に、「子の意見」という概念が存在しなかったのは、母自身が自分の親に、意見を認めてもらえなかったからではないか、と思う。どんな言葉も、文句と受け止められきた。

 なので、子供が親になにか言えば、それは文句ということになる。

 そう思えば、なるほど謎が解けたようなものだ。

 ずっと疑問だった、ずっと感じていた不自然の理由が解けて、私はようやく納得がいった。

 私はずっと考えていた。思ったことを言った時。例えばお小遣いの使い方について。家のルールについて。私の意見は文句とされたこと。文句ばかり言うな。文句は言うべきではないとして、私の発言は文句なのか? 意見というものは存在し得ないのか? これは意見だという主張は、単なる屁理屈なのか?

 私は、いまでも、あの頃の自分の考え方が間違っていたとは思わない。

 ただの文句もあったろうが、文句ではなく、意見として述べた事もあった。内容の是非や正当性はともかく、それは「文句ではなくて意見であった」という主張自体は、誤りではなかったと思う。

 それは屁理屈ではない、口答えや言い訳ではない、私なりの主張であった。母にはそれに対抗する論理はなかった。ただ私の言葉を、屁理屈と退けて終わったのみである。私は今のところ、そう考えている。

 時間はかかったがその意味がようやく腑に落ちて、恨みや不満を持つ道理もなくなった。

 そういう世界で育った人が子供を育てれば、そうなるのは仕方がないことだ。責めることではなく、文句﹅﹅をいうようなことでもない。

 そのように、納得できたからである。

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