押入れの奥に猫[#240329]

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2024年3月29日

 なぜそうも、頑張って生きられるのだろう、と思ってしまうことがある。人間は、基本的に、何かと頑張るものだ。頑張るとは、ある意味では苦しむことだと思う。

 なぜ、そうも苦しむことができるのか。過去の自分に対しても思う。何故あんなふうに、普通に頑張れたのか。

 わからない。

 頑張る時に感じていたことは、以前と同じなのだろうか。おそらく違うのだろう。テストや、課題、授業、将来設計、努力。昔はもっと、集中できた気がする。今はもう、集中できない、ような気がする。もう集中という感覚を忘れてしまった。頭の中はいつでも羽虫のように言葉やイメージが飛び交う。ただ、昔は違っていたような、僅かな記憶が、そんな気分を私に与えるのみである。

 母が今日、少しだけ私のことを褒めてくれた。文章が人よりも書けるんだろうね、と。小さい頃から本を読んできたことが大きいんじゃないか、と。

 母は、私が高校の時に作文を書いて貰った賞状を押入れの中から取り出してきて、見せてくれた。こういうのも、みんながみんな貰えるわけじゃないからね、と言って。私は賞状を貰ったことを忘れていた。

 あまり、母に褒めてもらった記憶がない。話を聞いていて、それは、母が自分の母に、褒められた経験がないからだと分かった。否定ばかりされてきた、褒められたことがない。成功しても、残念そうにする。失敗すれば、喜んで否定するのだ、と。

 母は、自分の親との間で悩んできた人だから、私を育てる時も苦労があったと思う。どうしたらいいのか分からなかった、とにかくされて嫌だったことをしないようにした、と聞いた。たとえば暴力といったようなことを。

 確かに、ハッキリと否定された記憶はあまりない。しかし、直接肯定されたり、褒められた経験もあまりないような気がする。私を褒める内容の話題にはまずならない。テストで学年一位を取ったり、大学に合格したりしても、合唱や演劇の発表会でも、そういった【親が子を褒めるシーン】で、母から感じたのは、いつも一種の戸惑いだったような気がする。小さい頃は褒め言葉をもらったこともあったが、特に私が成長してからは、手放しに喜んで褒めることができないような、何かそこに、つまずいて引っかかるような感じがあった。

  親から褒められた経験がなければ、自分の子どもを褒めることも難しいものだろう。私は子どもを育てたことがないから分からないが、多分そうなのだと思う。

 少なくとも、一般的な母親がどう、とかいったことは、私にとってはどうでもいいことだ。普通とか、理想とか、そんなことはどうでもいい。

 母は、自分の置かれた環境の中で、母なりに努力して、私を育ててくれたのだと今は思う。

 何が事実かなんて、どうせ私には知る事は不可能だ。知ることは出来ず、真実を信じることだけができる。

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