2024年4月3日
大学の学務情報システムにアクセスする。もう履修登録期間に入っている。私はふと、これから始まるのが最後の一学期であることに気がつく。第1,2タームの講義を受講できるのは、今期が最後になることに。
それは不思議な、違和感であった。今まで自分は一体何をしていたのだろう。ふと夢から覚めて、異世界から戻ってきたかのような。
大学生でいた時間の多くは、悩んで苦しんで、現実逃避しているばかりだった。ただ苦痛で、なにもする気にならず、集中できず、到底学びは積み重なっていかず、ひたすらやり過ごすことに必死だった。この三年間。
無駄になった、とは言えない。この三年間、色々、やってきたこともある。少しは学んだこともある。しかし、大学生でいることに、自分がするべきことに、集中してはこなかった。気がつけば、もう終わる。なにも出来ずに終わる。拍子抜けするほどあっけない。
虚しくなる。
こういう時、傷を確かめる。身体に刻んできた、傷。わたしの頭がバカになって、過ぎ去った時間もわからなくなっても、肉体はいつも正確な時を刻んでいる。一年前の傷、二年前の傷、三年前の傷。もっと前の傷。
遠いほど、古くなる。ああ、確かに生きてきたようだ。私はそうやって時間を確かめる。
語るべきことなどなにもなくなっても、私の言葉は尽きないだろう。それは無粋である。
読んだ本(再読)
「錆喰いビスコ」(瘤久保慎司、KADOKAWA電撃文庫、2018)
電車に乗る間、することがなかったので、家から持ち出していって再読した。
めちゃくちゃ、面白かった。
初読は2018年、高校一年生の頃だった。当時、私は電撃大賞への応募を目指していて、受賞作を読むようにしていた。「錆喰いビスコ」は第24回電撃大賞の銀賞受賞作であった。銀賞であったにもかかわらず、2023年現在9巻まで刊行され、アニメ二期の制作も決まっているヒット作である。
兵器の暴走によって文明が滅びたあとの日本を舞台に、「キノコ守り」の少年たちが旅をする冒険活劇、バトルファンタジー作品だ。
力づよく鮮やかな文章が、脳内に情景をありありと描き出す。終末の世界にきらめく生命と愛の輝きが、まっすぐに心へと届いてくるのだ。
彼らは「愛」のために、どんな厳しい道も行く。どんなに傷ついても決して足を止めず、どんな窮地でも立ち上がり、かならず、愛する人を守るために戦い続ける。
ビスコたちの道中で度々遭遇することになるチロルという少女が、ビスコの相棒、ミロに問いかけるシーンがある。「どうして、そこまでして命を賭けられるのか」と。
ミロはこう答える。
「たぶん、愛してる、から……っていうのが、ひとつで。二つ目は――」先を言い淀んで、ミロがはにかんだ。「僕らが、すごく……不器用だから……だと、思う!」
「錆喰いビスコ」P184
愛を貫くことは、不器用でなければきっとできない。愛は器用の対極にあるものだ。器用に愛することがあるとしたら、それは少なくとも貫く愛ではない。
不器用な彼らの生き方が、その生命の、意志の輝きが、私の心には焼き付いている。
私は前よりも、キノコが好きになった。
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