相談室にて①〈カウンセラーと話して考えたこと〉

 私はこれまで、誰かに何かを、本格的に「相談」するということをしたことがなかった。
 大学3年生の9月の終わりごろ。夏休みに心を打ち砕かれた私は、始めて「相談室」とでもいうべき場所に足を踏み入れることにした。

 大学の、健康管理に関する施設。そこでは健康面、精神面の相談を受け付けていた。私は深夜にメールを送った。(本当は初回相談の受付は、メールではできないのだが、私は勘違いしてメールを送ってしまった)次の日の朝、返信が来て、電話をし、センターに赴き、予約と諸々最初の手続きを済ませた。初回の面談はだいたいそこから、一週間後くらいだった。

 それから、ニ週間おきに何回か通った。次で五回目になる。

 相手の先生は臨床心理士なので、カウンセラーということか。カウンセラーという存在の悪口は親から散々聞かされていたので、ある意味では過度な期待はしていなかった。そういった相手は、私を救ってくれるわけではない、ということを私は知っていた。なので、理想と現実のギャップにうちひしがれるようなことはなかった。

 もう11月になった。相談室に通い始めてから、2か月近くが経とうとしている。その間、この人が自分にしてくれることはなんだろう。ということを常に考えていた。他者は、私を助けてくれるわけではない。自分の人生を背負ってくれるわけでもない。

 カウンセラーも医者も神様ではない。ただ、他者である。本質的に他者にできないことをやってもらいたいと思っても、無駄に終わってしまうし、それでも相手が自分にしてくれることもあるのに、そこに目を向けることができなくなってしまう。

 先生は、話を聞いてくれる。そして、たまに問いをくれる。またあるいは、約束をする対象になる。

 だいたい、現時点で私は、その先生をそういう存在だろうと思っている。

 私はいつも何か聞かれても、その答えがわからなかったり、分かっても一般的に望ましくないものであったりすると、咄嗟に誤魔化してしまう。あるいは、何かそれっぽい回答をでっちあげる。先生に対しても結構、それはやってしまう。だから、後々にひとりで改めて考えることになる。

 相談室という場所を訪れてから、私は考えるべきことが増えた。直面しなければならない事が増えた。それはある意味で、自分を苦しめることになった。でもそれは最初に先生が言った事だ。これから、話を進めていけば、昔の事も思い出し、辛くなることもあると思うが、どうか。私は、結局は向き合わなければならない事だともう分かっていた。いくら逃げても、逃げても、逃げられない。亡霊のように付きまとう過去や、罪からは。

 私は、幸福になりたくて、相談室の扉を叩いたわけではなかった。

 私はもっと強くならなければならなかった。本当はめちゃくちゃに壊してしまいたいような憎悪を自分に向けてばかりいても、誰も幸せにはならない。私は、人に迷惑をかけないように、この先も生きていかなくてはならなかった。本当は死にたかったが、そういうわけにはいかなかった。強くならなくてはならなかった。そのためには、砕け散った心をまた引きずって歩けるくらいには、立ち直らなくてはならなかった。そこに幸福などあるわけがない。

 自分は永遠に孤独だし、この人生を背負ってくれる人が他にいるわけでもない。絶望の霧を誰かが晴らしてくれるわけではないし、もしそれができるとしたら自分しかいないが、もはや暖かな日差しを自分に与えることは、自分の人生において不誠実そのものとなってしまった。

 私は何かを間違っているのだろうか?

 先生は答えをくれない。答えは自分で見つけるしかない。その答えが、ある意味では結局間違いだったとのちに気づくことがあっても、それは本当に結果的なもので、あとになってわかることでしかない。

 私は相談というものを試みて、永遠の孤独を痛感した。

 それは予想通りだった。だから私は今まで、相談というものをしてこなかったのだ。

 だけれども、私はその永遠の孤独に、向き合うべき時が来たのかもしれないと思う。

 人間は誰しも、本来は永遠の孤独の中にいる。それを見て見ぬふりして、一生を過ごすのもまた生き方のひとつだと思う。あるいはこの永遠の孤独をなんとかしようとして、人は様々な概念や物体を作り出してきたともいえる。

 そしてそれを受け入れることもまた、生き方の一つではないだろうか。

 私はまだ何も決められずにいる。

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